私は、大変な父親っ子でした。
小学生の頃は、大きくなったら父のような人と結婚したい、と本気で思っていました。夕飯には、あぐらをかいて座る父の膝にのり、父を座卓のようにして座りました。
父が食べる順番で、父のお箸の行く先を追って、同じものを食べて楽しみました。
あたたかい父の胸を背に、目の前に広がる夕飯のテーブルの光景は、子どもの頃のしあわせの構図。
目に焼きつき、自分が親となったいまも思い出すのは、なぜなんだろう。温かく、楽しく、しあわせで、不安のない、疑うことのない父の愛情を受けた場所。
求めることなく、与えられていた、絶対の安心。父は、特別なことをしているつもりはなかったように思います。末っ子を膝に乗せて食べただけ。
しかし、大人になって思い出すと、人が人に与えうる影響の深さに思いが馳せます。あの膝に戻りたいなぁ、と今もふと思うことがあります。
そして、あの安心を知っている、ということが、今も力を与えてくれます。さてさて、親となった私は、自分の子どもになにかを与えることができてるんだろうか。
大げさなものでなく、小さな人生を下手くそなりにまじめに生きる姿で、私なりの愛情が伝わってくれているといいな。あの安心を、私を通しても伝えることができたらいいな、と思います。
Kay