あきらめない、あきらめたくない

 

熟年離婚という言葉も最近では聞き慣れてしまった。長年連れ添った夫婦が仕事のリタイアや子どもの自立によって夫婦二人の関係に向き合う時、離婚という選択肢を選ぶ人が増えている。厚生労働省が調査した統計を見ると、平成27年から30年にかけて全体的な離婚件数は減少傾向にあるにも関わらず、同居期間が25年以上の夫婦、つまり熟年夫婦だけ増加傾向にあることが分かる。

出所:厚生労働省「平成30年(2018) 人口動態統計月報年計(概数)の概況 」https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai18/dl/gaikyou30-190626.pdf

 

 

熟年夫婦が離婚という選択肢に出会う時、「あきらめ」という心情が同時に浮かぶ。ここまで一緒に来たけど、ここまで一緒に来たんだからもう十分だ。一度は結婚した夫婦なら続けてきた夫婦生活に入った亀裂が広がる前に、なんとか修復したいと思うものだ。修復しようと、なんとか続けようと、どちらが一方は努力する。でも、その努力の成果が見えない時、その努力に相手が応えようとしてくれない時、あきらめたくなる。

 

 

「隣の芝生が青く見えるからと言って、隣に引っ越さないといけないことはない。それは自分の芝生にちゃんと水をやれって意味だ。(デイヴ・ウィリス Marriage Minute: Quick & Simple Ways to Build a Divorce-Proof Relationshipより)

 

芝生の世話はとても手がかかる。世話を怠ると気づいたらと手の施しようがない状態になっていて、あきらめたくなる。結婚も同じ。でも、隣の青い芝生の家に引っ越すことが解決にはなるとは限らない。あきらめたくなる状態にしてしまったことを責めているのではないし、あきらめたくなるのを責める者はいないだろう、しかし、まだあきらめていないのなら、あきらめてはいけない。

 

 

今日、もしあなたがまだ結婚をあきらめていないのなら、それを表明してみてはどうだろう。誰か信頼できる人でも、自分自身でもいい、勇気を振り絞って相手に言ってみてもいい。「わたしはまだ『わたしたち』をあきらめていない。」と。この表明から良い変化が始まるかもしれない、と期待して。