イクメンコラム:いい子って言わない子育て

 

 

 

3週間前に次男が産まれた。長男を連れてタクシーで助産院に到着後30分で産まれて、なんとか二人目も自分の手で取り上げることができた。これでイクメンとしての面目は保たれたわけだ。

二人目の子育てとなるが、初めての二人目という感覚がある。長男は2歳2カ月。「ダメ」を覚えて自分の権利範囲を探りながらぶつかってくる(物理的に)。そんな長男を産後の妻と新生児と一緒に入院させるわけにもいかないので、母を実家から呼び寄せて、手を借りながら長男の世話をすることになった。

母との二人がかりの育児をする中で、母はことあるごとに長男を「いい子だね~、えらいね~。」と言って誉めることに気が付いた。自分の中ではすっかり当たり前になってしまって忘れていたが、長男が産まれる前に妻と決めたことがある。それは「いい子」って言わないこと。

これはモンテッソーリ教育から学んだ方針で、モンテッソーリ教育では自分のおもちゃを片づけたり、普通の大人が普通にできることを、子どもだからと言って誉めずに、普通の大人と同じように言葉をかける、というのを妻から聞いた。そこで我が家では「いい子だね」の代わりに「ありがとう。助かるわ~。」と言っている。

母も私の姉から聞いたことがあったらしく、私が指摘する前に気づいてくれたので助かった。長男が産まれる前から念頭にあったことだし、2年間実施し続けてきたことなので、当たり前になってしまったが、久しぶりに「いい子だね」「偉いね」と言葉をかける子育てを見て気づいたことがある。

「いい子だね」と言う時は、子どもの行いを見て、子どもを「いい子」と評価している。この資本主義社会は評価社会である。多くの大人が評価に疲れ切っている。自己評価が低い人もいれば、高い評価を維持するのに必死の人もいる。子どもたちが成長して、大人になって、待っているのはそのような社会である。

モンテッソーリ教育は、子どもの自己教育力を生かして自立を促す教育として確立された。「いい子」と言わない子育てだけでも、子どもを評価社会から解放する力を持っているかもしれない、と感じた。

そして、「いい子」と言う代わりに「愛してるよ」「大好きだよ」の言葉をたくさんかけてあげることで、他者評価にも自己評価にも依存しない、愛によるアイデンティティを確立することができる、と私は信じている。いつか大人になって、調子が良い時も、悪い時も、変わらず人生を楽しむことができるように。

文:松本万慶