父親の背中顔を見て育つ

 

 

日本では良く、父親の背中を見て育った、と言います。これは良い意味で父親が言葉以上に行動で模範を示して、その模範的姿を見て育った、ということでしょう。しかし、実際にはただ単に父親との会話が少なく、その行動を観察する以外に父親との接点がなかった、という育てられ方をした人が多くいます。

 

遅刻する、嘘をつく、喧嘩をする、約束を破る、大きな問題に発展するまで、こうした小さな子どもの心やモラルの問題は母親に任されがちです。学校に呼び出されたり、よその親との問題に発展してからやっと父親は重い腰を上げて、「最後の切り札」として出てきます。

 

しかし、日々の子どもの心の動き;学校で嫌がらせにあった、先生に厳しく言われて嫌だった、好きな子ができた。こうした小さな毎日の出来事を知らずに、最後の最後に突然出てきて、躾らしいことを言われても子どもの心には響きません。言葉の圧力で行動を変えても、重みに欠けていたら心は変わりません

 

 

 

父親は背中ばかりを子どもに見せて、たまに怖い顔して厳しい言葉で躾ける子育てを卒業しなければいけません。父親はむしろ毎日子どもに顔を見せないといけない。子どもの顔を見て、自分の顔を見せる、顔と顔を合わせた会話を通して、人生を導くモラルコンパスを子どもに残してあげる。それはどれほど一生懸命働いて稼いだお金や家やその他の財産にも勝る、遺産となるでしょう。

 

 

 

「自分と家族のために高いモラルコンパス(道徳的規準)を定めること、そして、その基準を世代を超えて子どもたちに伝えていくことは、あなたが子どもに遺すことのできる最も大切な遺産です。」(「働き方改革より父親改革」グレゴリー・スレイトン著、糟谷恵司他訳、いのちのことば社フォレストブックス)